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「異端」であり続けることの難しさ


この本を読みました。かつて駒大苫小牧を夏の甲子園連覇に導いた香田誉士史氏にまつわるノンフィクション。

駒澤大学内の「辞令」によって縁もゆかりもない北海道に着任して強豪チームを創り上げた監督の話でありながら、その中身は美談ばかりではない、とても生々しいものでした。

この本を読んだ感想としては、香田誉士史氏は今世間で言われる「理想的な指導者」ではないと思います。でも純粋に「勝ちたい、勝たせたい」を追求し、正直に選手にぶつかっていくとこんな振る舞いになるのかな?とも思いました。

勝てばどんどん周囲から持ち上げられ、不祥事が起こると手のひらを返したように叩かれる。「駒大苫小牧=香田監督」と校長以上の有名人となり、学校も手に負えない存在となってしまい、正直で率直な物言いが学校との軋轢に変わっていく。そして最終的には連覇から数年で学校を去ることになってしまう。それはきっとタイトルにあるように、あまりにも急激に「勝ち過ぎた」が故に起こった変化だったと思います。

監督の良し悪しを評論することは簡単です。しかし、監督というのは真剣に取り組めばこその葛藤があり、時には病んでしまうほど悩むのだと思います。

駒大苫小牧の実情はわかりかねますが、伝統校であればOB会や後援会、学校のサポート体制も整っているのだと思います。当時の駒大苫小牧はそういった環境が整わないままに結果だけが先行してしまい、香田監督一人ではコントロールできないほど巨大な存在と化してしまったのではないかと推察されます。

香田監督が軋轢を恐れず彼の信念に基づいて突き進んだからこそ、あの連覇があったのでは?と思いました。保守的になることは簡単です。でも結果が出ていなければプロセスを疑わなければなりません。「うちはこうやってきたから」とか「その辺はほどほどに」と言っていたのでは「ほどほど」の結果しか出ないのではないか?とも思いました。異端で在り続けることの難しさを感じました。

指導者だけでなくサポートする周囲も含めて

「どれくらい覚悟を決めて進むか?」を考えさせられる一冊でした。

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