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ある捕手との思い出


高校時代、チームに「親友」が居ました。

ポジションは捕手。でも公式戦では一度もバッテリーを組んだことはありません。彼は3番手の捕手でした。

高校2,3年は同じクラスで彼は学級委員。頭脳明晰。ちなみに私は肉体労働系の体育委員。ブルペンでいつもボールを受けてもらっていたのですが、私の調子が良い時は「もう少し投げよう。」、調子が上がらない時は「また明日にしよう。監督には『投げた』と言っとくから。」と私の「投げたい」「投げたくない」を察して彼から提案してくれました。一方で私が新しい変化球を練習したいと言うと「狙って三振取れる鋭いカーブ持ってるのに、何でそれを磨かないの?」と叱責する厳しさも持ち合わせていました。試合中、自分が出場しなくても「さっきの回から重心が上がってるよ。もしかして前の回のスライディングで足痛めたんじゃないの?」と何でもお見通し。

投手コーチが居なかった高校時代、彼は私のコーチのような存在。彼のおかげで「捕手が投手を創る」という事象を身を以て体験することができました。

そんな彼は現在、関西にある有名私立大学の教授として教鞭をふるっています。野球とは無縁の学者生活かと思えば、体育会準硬式野球部の部長をやっているとのこと。

わがままで気まぐれな同級生に手を焼いた経験が教育者として活かされていることを願うばかりです。

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