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『叱った理由』は絶対に忘れない
野球における「監督」はとても大きな権限を持っています。
・練習メニューの決定
・試合メンバーの決定
・試合における采配決定権 など
グラウンド内での大切なことは全て決定する権限を持っているわけですから、選手は納得していようがいまいが、大抵の選手は監督に従います。その光景は監督本人に意思があろうがなかろうが、少し封建的な組織に見えてしまいます。
感情に任せて怒っても「指導」と解釈されます。 グラウンド内では独裁国家の元首と同じくらいの権限を有しています。
この権限は時として人としての感覚を麻痺させてしまうほど怖いものだと私は思います。私は選手に対して「いつ頃、誰をどんな理由で叱ったか」ということはほとんど全てのケースで記憶しています。自分のノートに記録することもあります。なぜならば指導者であれば「叱る責任」があると思うからです。
「叱る」というのは「叱る理由」があるわけで、その理由が継続している限りは叱り続けなければなりません。そうしないと一貫性がなくなり、選手から不信感を抱かれるからです。そしてそれが「指導」であれば、「叱る理由」を解決するために手を打たなければなりません。そして理由を忘れてしまうと指導はできません。そして「叱る」だけで改善行動を取らないなら、それは指導ではないと思います。
時には試合で懲罰交代をさせる時もあるでしょう。
懲罰交代を発令する時に必要なことは
①選手に対して交代理由を明確に伝えること
②何を克服して欲しいかという期待を伝え、改善を促すこと
③選手の改善プロセスを見届けること
④選手に次のチャンスを与えること
①〜④がないままでの懲罰交代は、自分の意に沿わない選手を自分の目の前から排除しているだけで「指導」ではありません。監督と選手は対等な関係ではありませんから「出ていけ」と言われれば従わなければなりません。対等ではない関係を使って服従させるのは先輩が後輩をいじめる構造と何も違いません。
小手先の技術しか教えない指導者の下では選手は地道な努力を怠り、封建的な思想を持った指導者の下では選手は謙虚さを失います。「選手は指導者の鏡」だと思います。だから指導者は選手を叱る時は、叱ると同時に自らの未熟さを反省しなければならないと思います。それが「叱る責任」だと思います。