top of page
  • Baseball-Knowledge

「相対比較」の罠


野球チームを運営していると背番号を決めたりスタメンを選ぶなど、選手を「相対比較」する場面が多々あります。同じ背番号をつけることはできないしポジションは9ヶ所。どうしても「選ばれるor選ばれない」は出てしまいます。

私はこの「相対比較」というのがあまり好きではありません。力量が劣っている選手に「キミの力量はレギュラーよりも劣っている」ということを示す以外にはあまり効果が無いように感じるからです。

技量の高い選手が居たとしても「彼には何もいうことはない」なんて選手はそれほど居ません。より高い目標を目指そうとした時には必ず課題はあるものです。その選手よりも力量が劣る選手との「相対比較」だけで評価をしてしまうと、せっかく素晴らしい能力を持った選手の志しを削いでしまうことすらあると感じています。

グラウンドに居ると、この「相対比較」にどっぷりハマってしまっている選手も見かけます。走力を競うメニューを課しても「最下位でなければいい」という走り方をしたり、守備でも「他の選手よりもエラーが少なければいい」、打撃でも「あいつよりは打てる」といった、「優位獲得」ではなく「劣後回避」のような姿勢の選手を見かけます。こういう選手は何事にも周囲を見ながら行動するので、試合でも「打てないのは俺だけじゃない」といった思考に陥りがちです。

選手を「相対比較の呪縛」から解放するには2つの考え方が必要だと考えます。

①広範囲な「相対比較」を用いる

弱いチームには「俺はチームで一番●●」みたいなことを言う選手を多く見かけます。そういう選手には「他所にはもっと凄い選手がいっぱい居る」「同学年の平均から見れば…。」など、狭い世界で自己満足に陥らないよう、視座を高めるような働きかけが必要だと思います。

②絶対値的な目標を掲げること

狭いチームの中でもNO.1になれない選手も必ずいます。でも力を高めていくためには他者との比較ではない「絶対値の目標」も時には必要です。仮に足が相対的に遅くても目標タイムを設定するなど、自らの力を高めていくための目標を設定することが必要だと思います。

「うちの子はレギュラーかどうか?」など、保護者が我が子を他者と相対比較したり、「(他人はできているのに)なぜお前はできない!」と相対比較の観点で叱責を繰り返すと、自然と子どもも「相対比較」の罠にはまってしまいます

相対比較に立ち向かう考え方として「負けず嫌い」というのがあります。「負けず嫌い」自体は悪くないと思いますが、「負けず嫌い」には「追う側の『勝ちたい』」もあれば、「追われる側の『負けたくない』」もありますが、勝った経験を持たずして前者のような思想は持ちにくいように思います。

子どもが「相対比較の罠」にはまらないためには、大人のサポートが必要だと思います。


閲覧数:808回0件のコメント

最新記事

すべて表示

父の言葉

私が小学生の頃の話です。 私が所属していたリトルリーグは平日も含めてとても厳しい練習を行なっていました。家に帰ればヘトヘト。玄関で寝てしまうくらい疲れ、眠い目を擦りながら夕食を食べていました。「あんなに練習して意味あるのかな?」「あいつはサボっていたのに見過ごされていた。不公平だ!」など小学生なのでご多分に洩れず不満を口にする時がありました。食事をしながらそんな不満をタラタラ言っている頃にだいたい

「求めあうこと」より「与えあうこと」

「企業」は経営者と労働者が存在し、労働者は「労働」と「対価」のバランスによって成り立っています。対価(=給料)を貰うために労働が求められ、組織全体の生産性を高めるために会社の規則を遵守することを求められます。対価の代わりに何かしらの「権利」によって労働が報われる場合もあります。つまり労働者が「権利」を主張するのもその背景には「労働」があるからこそ成り立ちます。「労働者」「経営者」それぞれにプロフェ

自主性を傍で支える

今日は雨が予想されたので、昨日のうちから朝練の中止を発表しました。「せっかく早起きの習慣がつきつつあるので、朝練がなくても早起きして、勉強するとか、用具の手入れをするとか時間を有効に使ってください。」と告げました。 さて、朝練をやってみて感じたことがあります。当たり前のことですが「子どもが成長するためには大人の支援が必要」ということです。 例えば今回、寝坊したことによって朝練を欠席した選手がいまし

bottom of page