最近、詳細な技術論を書いてきました。
競技パフォーマンス向上、故障の回避などのために技術を身につけることは絶対的に必要だと思います。しかし小手先の技術を詰め込みのように教えても有益ではないと感じています。
この場で何度か申し上げていますが「上手くなりたい」という能動的な気持ちと「やってみよう」という積極性が技術を磨いていく上では必要だと思います。
「積極性」は単純な精神論ではないと思います。
積極性の差が技術の差に現れる場面もあります。
今回はその一例をご紹介します。
この絵は相手が投げたボール、もしくは打球が自分の右側に逸れて飛んできた場面を表現するために書いたものです。
①は体を寄せたり足を動かすなどしてボールの軌道に先回りしてグローブを合わせるような捕り方をしています。
②は最低限の動きでボールにギリギリ間に合うグローブの出し方をしています。
例えば「良い音を鳴らして捕ろう!」とする選手はグローブの芯にボールを当てるために①のような捕り方を試みます。しかし「捕れればいい」と思っている選手であれば②のような捕り方になってしまいます。
これは捕手の「フレーミング」という技術にも通じる考え方だと思います。
ボールと正面から向き合って「ボールの勢いに負けないように捕ろう」と思っている捕手は体を右に寄せて①のような捕り方ができます。しかし「捕れればいい」とだけ考えている捕手は右側に体を捻るようしながら②のような捕り方をします。②の捕球方法だと当然ミットは流れるので、外角のストライクゾーンは狭くなります。
このような経緯で「積極性の差」が「技術の差」となって現れます。
攻める気持ちがないとできない技術はあります。
捕球→送球の時間を短くするために敢えて体の右側でグローブを引きながら捕球する場面もありますが、それは例外的かつ応用的な技術だと思います。
野球をやっている子には勝ち負けよりも礼儀正しく、思いやりを持ち、努力を厭わないような人になってほしいと思います。しかしそれも技術が磨かれる過程で得られるものであり、逆に言えば指導者は心が創られた選手を技術的にも成長させなければならないと思います。だから私も今でも技術や指導方法を学ぶ機会を持ちます。
やはり
①「上手くなりたい」という心を創ること
②「上手くなりたい」という心が技術に反映されること
この順番だと思います。
指導者は「選手の心が創られるサポートをすること」「心が創られた選手に技術を教えること」、この2つのスキルが求められているように思います。