我々が子どもの頃には多数の野球漫画がありました。「巨人の星」「ドカベン」「侍ジャイアンツ」「アストロ球団」「キャプテン」「タッチ」など、挙げればキリがないくらい多数の作品を想い浮かべます。
そしてこれら野球漫画に共通要素があります。
それは「キャラクターの多様性」です。
「大柄」「小柄」「イケメン」「太め」「痩せ気味」など多種多彩なキャラクターがそれぞれの持ち味を発揮しながら、作品に花を添えていました。
「大柄で豪快な岩鬼」「小柄で器用な殿馬」「イケメンの里中」「ずんぐりむっくりで思慮深い山田太郎」。みんなバラバラなキャラクター構成ですが、それぞれが個性を発揮しながらみんなで勝利を目指す。他の作品もストーリーの違いはあれど、キャラクターのバリエーションはよく似ています。
当時の我々はこうした漫画を通して「野球はいろんな人がやっていい」という価値観を自然に形成されていたように思います。だから小柄で非力な選手も、太めで足が遅い選手も「野球やろうぜ!」という言葉に集まり、指導者も多種多様な選手を適所に配置することで勝利を目指すのが「普通の姿」だったと思います。
野球って本来、「多様性に対する受容度が高い競技」だと思います。
「スピードに自信がある人」「パワーに自信がある人」「器用さに自信がある人」選手それぞれが自分の持ち味を生かしてチームに貢献する。指導者は選手の多様性を認め、個性を活かせる配置で戦いに臨む。そんな競技だったと思います。
「慎重な選手」に対して「こいつに思い切りの良さがあれば・・・」と嘆いている場合ではなくて、「この慎重さが一番活かせるのはどんな起用方法か?」に想いを巡らせた方がチームにとっても、指導者の精神衛生上も健全だと思います。
個性という点ではもうひとつ気になっていることがあります。
「今の子は体幹が弱い」という声が上がれば、どのチームも同じような体幹トレーニングを行い、試合前の「ラッキーボーイ」が流行れば、一塁側と三塁側で同じように「ラッキー、ラッキー〜♪」と手拍子を叩く。チーム内のにおける選手の個性はおろか、チーム間の個性すら失われつつあるようにさえ感じます。そう考えれば「特定の強いチームに選手が集中する」のも一定の理解ができます。「どこに行っても結局は同じことをやる」だったら強いチームを選ぶと思います。
野球チームはこれからスカウティングの季節に突入します。
私はスカウティングは「足りないピースを探すこと」ではなく、「『ここでやる!』という決断を引き出す機会」だと思います。
選手の個性を活かし、チームの個性を構築しなければ、選手の「ここでやる!」を引き出せるチームは創れないと思います。