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『打たれてもいい』という指導者の覚悟


世の中の投手の大半は「攻める」「かわす」を使い分けながら投球します。ほぼ全ての投手が「攻めるだけ」「かわすだけ」では投球は成立せず、「攻める」「かわす」を使い分けながら投球術を覚えていきます。自分なりに「攻めるべき」「かわすべき」という感覚は経験の中で養っていかなければ、球種のサインは捕手が出したとしても気持ちが中途半端で「攻めきれない」「かわしきれない」という現象が起こります。

この切り替えが上手な投手は必ずと言っていいほど「滅多打ちされた経験」を持っています。なぜ「必ず」でしょう。

私が小学生の頃、所属していたリトルリーグの監督は、必ずと言っていいほど投手に対して「今日はストレートだけ」という指示を与える日がありました。相手もそこそこ強いと、当然ながら投手は滅多打ちにされます。でも監督はマウンドの投手に向かって「攻めろ!今日ここでお前が打たれることなんて、お前のこれからの野球人生にとって大した問題じゃない」とよく声をかけられていました。でも打たれながらも攻めた経験があるからこそ「攻めて良い場面」「かわさなければならない場面」を習得しますし、常に「攻める気持ち」だけは失わずに投げることができるのだと思います。

最近は投手を指導する時に「かわすこと」から教える指導者も多く見受けられます。意外とその方が結果が出やすいからだと思います。「かわすことしかできない投手」はかわせなくなったらもう手立てはありません。中学に行っても高校その後も「かわし続ける」という野球になるでしょう。そしてそういう選手は受動的でネガティブな思考を持った選手になる傾向が高いように感じます。

小・中学生の時に「かわす投球術」で結果が出たとしても、高校生になれば左投手では120km/h以上、右投手であれば130km/h以上の球速を投げられなければ、現代の高校野球では「かわすこと」すらできません。ほぼ間違いなく捕まえられます。選手の将来の為にも「恐れず攻める」という経験を積んでもらうことで、将来は幅広い投球ができる投手になって欲しいです。

その為にも指導者が「打たれたって大した問題じゃない」と選手の背中を押して「攻める心」を作っていくことも大切なのではないか?と思います。

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