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自主性を傍で支える


今日は雨が予想されたので、昨日のうちから朝練の中止を発表しました。「せっかく早起きの習慣がつきつつあるので、朝練がなくても早起きして、勉強するとか、用具の手入れをするとか時間を有効に使ってください。」と告げました。

さて、朝練をやってみて感じたことがあります。当たり前のことですが「子どもが成長するためには大人の支援が必要」ということです。

例えば今回、寝坊したことによって朝練を欠席した選手がいました。本人はやる気はあったのですが、朝起きることができず来られないかったのです。

本人の自主性に任せるべき」という保護者もいらっしゃいます。本来そうあるべきです。やるのは本人です。本人が「やりたい」と思い、そのために自分で早起きして練習に参加する、これがあるべき姿です。

しかし「お母さんに起こされて、眠い眼をこすって練習に参加」という子も、実際に公園で体を動かしている子も毎日やっているうちに技術的に上達します。その期間が長く続けば、どんどん実力差が広がっていきます。もしかすると自主性が芽生えた頃には、取り返しのつかない差がついていることだってあります。技術だけではありません。結果が出れば練習が楽しくなり、やがて自分で起きるようになります。自主性にだって差が出ると思います。

自主性が芽生えるまでは「大人の後押し」が必要なのではないかと思います。勉強だって勝手にやりません。学校に「教師という大人」が居てこそ、やらされてこそ勉学がスタートし、その面白さや「できた」という達成感を味わうことで、自主的に勉強するようになります。

子どもの「自主性」は弱くてとても不安定です。不安定な間は大人が傍で支えてあげることも必要ではないかと思います。


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