『結果論』という言葉は何かを解説する論理としては悪い意味で使われるケースの多い言葉です。世の中で『結果論』を推奨している人は皆無に等しいと思います。しかし、野球に限らず世の中には『結果論』が蔓延しています。何故なんでしょう?
指導者は文字通り「指導する人」です。指導される人は「正しい教え」を期待しますし、指導する側も「正確に」「分かりやすく」を心がけると思います。私はここに落とし穴があるんじゃないかと思います。
指導者は神ではありません。全てに対して正しい答えを持っていない場合だってあるでしょう。分からないことだってあると思います。私だってたくさんあります。だから勉強するんです。
「不確かなこと」に対する見解を回避し、理由まで解説できるものに限って言及する。そうするとどうしても「結果が出ているもの」に対する言及が増えてきます。そういう意味では、世の中の学問の多くは「結果論」とも言えるでしょう。
指導者に「不確かなこと」「分からないこと」があっても良いのではないでしょうか?「分からないと正直に言える勇気」と「選手と一緒に解決していこうという気持ち」があれば。
「結果論」でしか語らない指導者の下では、選手も消極的になるように思います。チャレンジ精神に溢れた選手を育てるためにも、私は勇気を持って「俺にも分からん。一緒に答えを探そう!」と選手に言える指導者でありたいと思います。