長く野球に携わっていると「年齢相当のプレー」の相場が分かってくると思います。
「小学校●年生だとこれくらい」など、感覚が掴めてくるのですが、私はこの「相場観」が指導者として危険だと思っています。
例えば、小学校2年生だとキャッチボールが出来ない子はたくさん居ます。練習していれば出来るようになるのですが、初めてキャッチボールが上手くいった時に、指導者目線であれば「まぁ、出来るようになるわな〜」なんですが、子ども目線では
「やった!出来た(^_^)/」なワケです。
大人目線では当たり前であっても子どもにとっては奇跡だったりします。特に小学校低学年の時は、子どもにとっては毎週「奇跡」が起こる訳です。 この「奇跡」を大人が一緒になって「奇跡」として喜んであげられるか?が、その子の選手としての佇まいを決める大きな要素になると私は思います。「それくらいで喜ぶなよ。」とは言わないまでも、平然とした顔で見ているだけでも子どもにとってはガッカリです。
「すげーじゃん、もう一回見せてくれよ(^_^)」
と言って子ども目線で一緒に喜べるかどうか、指導者歴を積み重ねてもその気持ちを持ち続けられるかどうかが、「指導者としての質」に大きく影響すると思います。
「周囲からの期待」を感じて育った選手は、一生懸命プレーします。そういう選手は当たり前のプレーを大事にするので、イージーミスも起こしにくいです。 ”当たり前”こそ”有り難い”と思います。